ページ番号1001942 更新日 平成30年5月23日
認知症の症状に、最初に気づくのは本人です。もの忘れによる失敗や、今まで苦もなくやっていた家事や仕事がうまくいかなくなる等々のことが徐々に多くなり、何となくおかしいと感じ始めます。
とくに、認知症特有の言われても思い出せないもの忘れが重なると、多くの人は何かが起こっているという不安を感じ始めます。しかし、ここから先は人それぞれです。認知症を心配して抑うつ的になる人、そんなことは絶対にないと思うあまり、自分が忘れているのではなく、周囲の人が自分を陥れようとしているのだと妄想的になる人など。
認知症になったのではないか、という不安は健康な人の想像を絶するものでしょう。認知症の人は何もわからないのではなく、誰よりも一番心配なのも、苦しいのも、悲しいのも本人です。
現実には、認知症の人が、私はもの忘れなんかない、病院なんかに行く必要はない、と言い張り、家族を困らせています。早く診断をし、はっきりとした見通しを持って生活したい、本人を支えていきたいと願う家族にとって、本人のこうした頑なな否認は大きな困惑の元になります。しかし、その他の事柄についてはまだまだ十分な理解力や判断力を持っているのに、自分の深刻なもの忘れに対してだけ不自然なほど目をつぶる理由を考えてみましょう。
こういう人でも、他の認知症の人のもの忘れが尋常ではないということはすぐにわかります。つまり、「私は忘れてなんかいない!!」という主張は、私が認知症だなんて!!というやり場のない怒りや悲しみや不安から、自分の心を守るための自衛反応なのです。周囲の人が「認知症という病気になった人」の本当のこころを理解することは容易ではありませんが、認知症の人の隠された悲しみの表現であることを知っておくことは大切です。
足の不自由な人は、杖や車いすなど道具を使って自分の力で動こうとします。駅にはエレベーターの設置などバリアフリー化が進み、乗り降りがしやすくなってきています。また手助けのいるときには援助を頼みます。
しかし、認知症の人は自分の障害を補う「杖」の使い方を覚えることができません。「杖」のつもりでメモを書いてもうまく思い出せず、なんのことかわからなくなります。認知症の人への援助には障害を理解し、さりげなく援助できる「人間杖」が必要です。交通機関や店など、まちのあらゆるところに、温かく見守り適切な援助をしてくれる人がいれば外出もでき、自分でやれることもずいぶん増えるでしょう。
認知症の問題は、介護問題だと考えるのをやめましょう。だれでも自分や家族が認知症になる可能性があります。認知症という病気のことを理解したうえで、自分だったらどう生き抜くかということを考えなければ、認知症の人の支援は難しいのです。
健康な人の心情がさまざまであると同じように認知症の人の心情もさまざまです。「認知症の人」がいるのではなく、私の友達のAさんが認知症という病気になっただけです。友人としてすべきことは、認知症の障害を補いながら、今までどおり友達のAさんと付き合い続けることです。たまたま駅でまごまごしていたBさんは、認知症のために自動改札が通れないらしい、だったら、ちょっと手助けをして改札を通る手伝いをすればいい。さりげなく、自然に、それが一番の援助です。
注:出典:認知症サポーター養成講座標準教材「認知症を学び地域で支えよう」
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